Mysteries in English teaching in Japan

By 木村 正和 (加藤学園暁秀高等学校/日本大学国際関係学部)

More than 30 years have passed since I started teaching English at senior high schools in Japan. I have come across some mysteries in the ways English is taught in this country.

#1: What is the purpose of English learning in this country?

 私は、英国のPolytechnic of Central London(現Westminster University)で外国人のための英語コース(Cambridge Certificate of Proficiency in English/ Cambridge Diploma in English Studies)を受講し、英語を学び直しました。日本の大学での専攻は法学部であったために、イギリスでの英語学習体験は実に「新鮮」な体験でした。英語のテキストを読み、自分の英語語彙力でその内容を要約し(本文テキストで使用されている単語、文を使用することは、テキストの剽窃であり、内容要約は自分の語彙力で表現してこそ、読者としての内容理解の表現が可能であることを学んだことは、大きな収穫でした。なぜなら、読解は、自己の表現行為と結び付くときに初めて完成することを体験したからです)、小説を読んで、そのテーマにそってエッセイを書き、他の学生の考えと比較し、批評しあい、議論する。英語はコミュニケーションの手段として機能することを体験できたことが「新鮮」な体験だったのです。

一方、日本の英語の教育現場では、英語はあたかも「死体解剖」の材料です。英語は、文法的に日本語で解析され、英文テキストは、日本語で構文的に解釈され、日本語でその内容が、英語の「写像」として処理されています。的確な和訳を完成させれば、それで学習は「完成」してしまいます。そのテキストに対して自分がどう思うか、他の人の考え、感想はどうなのか、比較し、意見交換し、課題の英文情報を自分のものとして消化する英語による作業はほとんど見られません。そこで一番幅を利かせているのが大学受験英語なのですが、入試問題の英語には、エッセイを書かせる場合はほとんどありません。受験者の考えを英語で表現させるという視点が極めて不十分なのです。英語学習の目的が未消化であるという印象を持たざるをえません。

#2: Why are Japanese English teachers not good enough at teaching communication?

 日本人英語教師の英語能力のレベルの低さをもたらしているものは、英語による表現活動の圧倒的な少なさにあると思います。ALTやネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーを前にして、その方々が日本語に堪能な場合、頻繁に日本語で授業方法に関する打ち合わせがなされている教育現場を体験しました。日本語が通じない社会で、英語による情報交換をしなければならない経験をしたことがない日本人英語教師には、ありがちなことなのかもしれません。しかし、英語教師であるという確固とした自覚を持ち、英語を使う機会を増やさなくてはならないと思います。

 ベストセラーとなった海外の小説を、ペーパーバックで安価に購入できる時代になりました。しかし、ベストセラーになる作品(例えば、ダン・ブラウン)を、翻訳でしか読まないことをなんとも思わない日本人英語教師がいるとすれば大問題だと思います。もっと言うと、果たしてペーパーバックスを日常的に読んでいる英語教師はどれほどいるのでしょうか。日常的に情報処理する英語情報が、教科書と教師用マニュアル、そして受験用英文法参考書だとしたら教師の英語力レベルが低いのは当たり前です。

#3: Why are the problems in the exam papers written in Japanese rather than in English?

 試験の問題文が、日本語で書かれていることも不思議です。英語の力を試したいのであれば、問題文は英語で書かれていて当然だと思います。しかも、「下線部を和訳せよ」という問題ほど低レベルの問題はないと思います。意味内容を問う英語構文表現を問題としたいのならば、英語による言い換えや、例示、cloze test 等を使用すればよい事です。日本人英語教師は英語を使って英語のテキスト理解をテストできるような工夫がまだまだ足りません。

#4: Why are the English classes mostly given in Japanese?

 英語学習の一番の目標が大学入試であるのなら、現状では確かに英語による教室内の情報伝達は必要がありません。入試では、高々基本的な会話レベルのリスニングがセンターテストで課せられているにすぎないからです。中学校、高等学校で外国語学習を課す必要性がどこにあるのか、根本から考え直さなければならないのではないでしょうか。英語は、何も英文学だけを扱うのではありません。時事的話題、科学的題材、商業的(広告等)情報、政治的、社会的題材、等、英語による情報処理全般を扱うことが可能な教科です。教室英語から、抽象的な概念操作まで、英語で処理するという根幹こそが、外国語学習の基本だと思っています。

#5: Why don’t Japanese English teachers have their own point of view about the texts they use in classes?

 日本人英語教師自身が、教師用マニュアル及び解答と生徒をつなぐチャンネルと化してしまい、自分自身を透明化してしまう傾向が見られます。“According to this text, X is Y, but in my opinion …… ” のように原テキストを「料理」し「加工」し、生徒にも同様の「参加」を求めてゆく活動があっても良いと思います。さらにテキストは、「教育的」である必要はなく、そうでない場合の方が批判したり、面白がったりすることが可能です。そこにはユーモアをテキストに取り込む余地も生まれます。Lewis Carroll の洒落などを扱えば、翻訳不可能な言葉遊びを楽しむこともできます。英語による意図的な脱線が授業にもっともっとあってしかるべきだと思います。

#6: Why don’t Japanese teachers study English grammar through English grammar books?

 日本人教師間で使用されている文法参考書が、『フォレスト』に類した参考書だとすると、なんとも情けなくなります。A Comprehensive Grammar of the English Language とまではいかなくともPractical English Usage, Grammar in Use, English Grammar Today, English Grammar in Context あたりを日々参照することが当たり前ではなくなっているとすれば、悲しい限りです。以前、Practical English Usageを使って勉強会をもったことがあります。その翻訳版を持って現れた教員には驚かされました。

 

#7: Why are composition course books used in classes not good enough for students to learn writing?

 日本人英語教員の大半は、Writingの授業をまともに受けたこともなく、自分でエッセイを書いた経験もなく、実際の授業は、簡約英文法の授業になってしまっています。教科書のタイトルは、English Composition となっているのは、明らかに誤表記です。ボトムアップ的ライティング指導(英文法が、十分理解できて初めて英作文ができるようになるという指導法)は、コンポジションを経験したことのない英語教師の言い訳でしかないと思っています。外国からの葉書の文章、日誌、苦情の手紙、簡単な物語、遠足の目的地に関する提案、等身近な文章をまず書いてみることから始めて、そのあと段落構成、文法訂正、文体調整、等の編集作業を行うトップダウン的指導法を導入する必要があるのではないでしょうか。

#8: Why don’t all Japanese English teachers have good enough TOEFL grades/ IELTS grades/ Eiken high level certificates?

 英語能力検定は英検以外にも、アメリカ留学を前提としたTOEFL試験、英国文化圏(英国、オーストラリア、ニュージランド)留学を前提としたIELTSのようにグローバルな資格試験を受けられるようになりました。そこでこれらの試験を日本人英語教師がこぞって受験するかというとそうではありません。「厳しい現実を突きつけられるくらいならいっそのこと受験しない方が安心だ」「そのような資格は、別に英語教師ななるためには必須ではない」。そのような声が聞こえてきそうです。英国で、Cambridge Certificate of Proficiency in English という資格を取るためのコースを履修していた時、ヨーロッパ国々から英語教師になろうとしている多くの学生と同じクラスになりました。この資格が英語教師になるためには「必須」だという話でした。一般的な英語の試験問題以外にも、2つの英文エッセイ、リスニング、面接試験を課せられるこの試験は実用性以外に、クリティカルな思考法、創造性をも問われているという印象を持ちました。日本の大学入試試験ではまず経験できない英語運用力を問われるこのような試験の合格を英語教師に対して必須条件とすれば、英語教師の英語力は必ず向上する筈です。

#9: Why does MEXT require English teachers to take some useless courses at universities to renew their teaching certificate?

 ここ数年来、英語教師が教員資格を更新しなくてはならないようになりました。更新するための条件は、大学で既定の単位を履修することです。この単位の内容が、実に無意味な場合が多いのです。例えば、

1.英語教育の関連分野―本講習のねらい

・言語学と英語教育の接点

・教育言語学の目標と適用

・言語習得研究からの示唆

2. 学習英文法と教育言語学

・学習英文法の役割を考える

・英語の文法・語法現象―その多様性と規則性

3. 認知言語学と教育言語学

・文法は暗記ものではない。

・なぜそのように表現形式を選んだのか。

4. 学習者と教育言語学

・学習者の英文法―本質を探る

・何が容易で、何がむずかしいのか?―実証的な検証方法

教員資質の向上を目的とするのであるならば、コミュニケーション能力育成のための授業方法、英語表現力向上のための実習、プレゼンティションの指導法、デベイト指導法、等、今一番必要とされている授業内容改善に役立つ講習を履修するのが急務であると考える方が自然です。ここで「講義」されていることは、あまりに理論に偏っており、「授業実践」内容、技術の向上とは、かけ離れているという印象を強く持ちます。ちなみに、この「講義」が英語でなされるという情報もありません。試験は、英語によるエッセイを書かせるぐらいのことを念頭に置くべきだと思われますが、このシラバスでは心もとない印象です。

#10: Why can’t Japanese English teachers who have taken some courses in the US/ UK/ Australia/ Canada etc. do anything to work together so as to improve the English teaching methods in Japan?

毎年、各県から選抜された英語教員が、英語を母語とする国々へ派遣され、研修を受けます。そこで実習経験した英語授業法がどれほど現場で生かされているのかが、見えにくいのです。そのような「選ばれた」教員達が、自分の教育現場で、新たな教育法を実践しようとすれば、当然のことながら様々な問題に直面します。英語での質問に対する生徒の反応、同僚との連携の困難さ加減、父母会の視野の狭い反応(「受験に役に立つのか?」)等、それは数多くの問題に遭遇するはずです。それを教師個人が、それぞれ対処するだけではなく、グループとして、そういった問題に対する英語教師サイドからの主張をしていかねばならないと思います。それが聞こえてこない。

 確かに法律上の制約もあります。教科書は検定教科書を使用することが前提です。教科書を採用すれば、その教科書に対するワークブック、同じ出版社から出版されている「教科書準拠」の様々の問題集がセットとして採用され、そして「文法訳読」方式の授業が相変わらず「強行」されます。そして、その授業方法は、圧倒的に、教師が「楽」のできる教育方法なのです。生徒は、教科書会社、もしくはそのグループの会社の出版した「教科書ガイド」を「活用」し、テキストの「和訳」を暗記することを、英語学習だと「誤解」します。このような英語教育の現状が、もはや「古臭い」ものであればと願っているのですが、案外、どっこい生きている「訳(薬)中毒」患者が、教師、生徒に残っているのではないかと危惧しています。

 副教材としてでも、アメリカ、イギリスの出版社から出版されている教材の使用が広げられるべきです。和訳をそもそも媒介とせず、コミュニケイション、発話を必須とする教材を使えば、教師自らの授業の運用方法が変わってくるはずだからです。様々のアクティヴィティをみれば、語学学習に必要な、言葉を使うという活動の重要性が確認できます。

Last but not least, where do we start to bring about a great change to English education in Japan?

鍵は、やはり、英語教師であると思います。Independent Learners としての英語教師と、それを支えるSystem の構築が切実に望まれます。まずは、そこで What are we to do to become independent English learners and also independent English teachers? と質問をさせて下さい。英語という言語情報媒体を、和訳作業を介在させずに楽しむことのできる、正しい生活習慣を身につける工夫をしてみませんか。思えば、「和訳」は生活習慣病と似ています。メタボ症候群から解放されるために有酸素運動で大いに発汗することが有効なように、現代の英語学習には、コミュニケーション活動に汗する日本人英語教師の連帯がぜひとも必要なのではないでしょうか。